能楽の謡における拍と『王孫不帰』――横道萬里雄氏の著作を手引きに

 「王孫不帰」は確かに難しい。今、現存する日本の合唱曲の中で最も難しい作品の一つですね。難しいだけでなくて非常に優れた作品です。それは三善さんの人生のある一つのピークの時に出来た作品でした。三善さんの非常に充実した音楽活動の結果作品に昇華したわけですね。


顧問指揮者40年 ロングインタビュー

「田中信昭先生とアリオンの40年」【1】

 

 

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三善晃

 


 先日、合唱団お江戸コラリアーずさんの定期演奏会に行ってきた。
 プログラムは以下の通り。

 

 

 第1ステージ
 R.シューマン作曲
 Sechs Lieder für vierstimmigen Männerchor op. 33
 
 第2ステージ
 作詩:三善達治 作曲:三善晃
 男声合唱のための「王孫不帰」

 

 第3ステージ
 作曲:間宮芳生
 合唱のためのコンポジション6番
 「男声合唱のためのコンポジション

 

 第4ステージ
 アラカルトステージ
 作曲:オラ・イェイロ Northen Lights
 作曲:松下耕 俵積み唄
 作曲:津田元 うたをうたうのはわすれても  ほか

 

合唱団お江戸コラリア-ず第18回演奏会パンフレット【2】

 

 

 最後に合唱のコンサートを聴きに行ったのが、ちょうど昨年の今頃に開催された東京混声合唱団さんの定期演奏会だったので、実に約1年ぶりのライヴ鑑賞ということになる。
 どうしても聴きにいかなくてはならないという気持ちに駆られた動機は、シューマンとアラカルトに挟まれた二曲のためだった。いずれも法政大学アリオンコールさんが初演をされた作品で、ひと世代前の、<前衛>という言葉がいまだ古いものではなかった時代の合唱曲である。

 『男声合唱のための「王孫不帰」』(以下、『王孫不帰』)は、たいへんな難曲として広く知られている。特徴的なメリスマを採用したヘテロフォニックな旋律、意図的に小数単位で指示された拍子、大胆な詩の反復。ここから作曲家としての新時代を迎える三善晃氏渾身の曲であることはいうまでもない。

 

 さて、先に述べたように『王孫不帰』には小数拍子が頻出する(例えば「3.5 / 4」、「2.5 / 8」、「5.5 / 8」・・・という風だ)。とはいえ、換言すればなんてことはない。例えば「2.5 / 8」の音価は16分音符5つと同等(16分音符×4+16分音符)なので、「2.5 / 8」=「5 / 16」なわけだ。
 余談だが、ブログ主がこれまでに出くわした、最も「変わってる」拍子は、K.シュトックハウゼンというドイツの変態作曲家が1955年に作曲した『Klavierstück Ⅸ』。

 

 

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Karlheinz Stockhausen 『Klavierstück Ⅸ』(1955)



 さて、話を戻せば、『王孫不帰』の拍子の特異さは、その表記の仕方であると考えられる(もちろん音価にも意味はある)。なぜ三善氏は小数表記を用いたのか。これは不可解ではあるまいか。曲の難解さを露見させるためだろうか。それとも、実験的な試みだったのだろうか。

 おそらく、いずれも、違う。作曲者は半拍を意識させたかったのに相違ない。なぜなら、『王孫不帰』の歌唱法のモデルである能の謡において、半拍はたいへん重要だからである。


 能楽の謡において半拍が重要であること。そしてその事実が『王孫不帰』へ影響を与えた可能性。これを証明するために、横道萬里雄氏の優れた本を参照することにする。氏は能楽、芸能、仏教音楽の世界でたいへんな仕事をされた方で、特に法藏館から出版された『聲明大系』などは【3】、仏教研究史に名を刻む世紀の偉業と言っても過言ではないと個人的には思っている。またまた余談だが、横道氏と柴田南雄氏は同学のひとで、柴田氏の男声版『修二會讃』(法政アリオン委嘱)にも関られたという【4】。

 そんな氏は2002年に『謡リズムの構造と実技 能―地拍子と技法』(以下、『謡リズムの構造と実技』)なる著作を書かれている【5】。本書はその名の通り、能楽における謡の歴史、実際、技法をひじょうに分かりやすく記したもので、玄素の人の分け隔てなく楽しめる本だと思う。
 というわけで、『王孫不帰』の読解のために、ここからは暫く謡のお話になる。


 氏いわく、能楽における平ノリ(基本的なノリ)の詞章は、一文の基本型が7・5調であるという【6】。字余リ・字足ラズも存在するが、それはあくまで7と5に区切られた12音を基本としたうえでのことだという【7】。例えば『羽衣』に、


1.  なみだのつゆの たまかずら
2.  かざしのはなも しおしおと
3.  〇〇てんにんの ごすいも〇
4. めのまえにみえて あさましや


 というノリがある(『王孫不帰』が韻文であることを思い出していただきたい)。1から順に基本型、基本型、字余リ、字足ラズなわけだが、これに8の拍がつけられる(ここでいう<拍>というのは、西洋音楽でいうアクセントだとか、音強といったものに近い気がする)。
 しかし、当然ながら12字からなる詞章に8つの拍を均等に与えることはできない。そこで、〈モチ〉を使う。モチとは、横道氏に言わせれば、地拍子における「延長部分」だという【8】。これによって8つの拍を均等に振り分けることが可能になるわけだ。
 また、字余リ・字足ラズの詞章に対しても、都合をつけるための工夫があるのだが、その説明のために、下の図を見ていただきたい。図は横道氏の本を参考にしたものだが、便宜の上から一部改めた点があることを断っておく。

 

 

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横道萬里雄『謡リズムの構造と実技』P34の図を参考に作成

 

 
 数字と横棒が拍(アクセント)をあてる場所を示しており、「・・・」がモチを、「〇」が間を意味している。従って一文目を歌う場合、「なあなもじいならばあかくうたいー」という風になるわけだ。これで明らかなように、モチは確かに氏のいわれるとおり、延長部分であり、ついでに字足ラズの処理は、歌いだしを下げていくというものなのである。
 また、字余リの場合は、前句と切れ目なく繋げてて歌う処理を施すという。たとえば「やもじなるときはこのごとし」という13字の詞章のときは、ひとつ前の句の最後の拍を、歌いだしの部分に設定するのだ。

 

 

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前掲『謡リズムの構造と実技』P34を参考に作成


 ところで、ひとつめの図の2句目、4句目、5句目の謡出しの位置に注目をしていただきたい。いずれも一字目が拍に当たっていないのがお分かりいただけると思う。「六文字ならば・・・」は1拍目と2拍目の間、「四文字は・・・」は2拍目と3拍目の間、「三文字は・・・」は3拍目と4拍目の間が歌い出しとなっています。つまり、半拍が謡の出だしの位置になっているのである。
 面白いことに、能謡の世界では、謡出しの位置=間に名称が存在するそうだ。書を参考にすると、以下のようなのがある。

 

第八拍半の謡出し=本間
第一拍半の謡出し=ヤの間
第二拍の謡出し=ヤアの間
第三拍半の謡出し=ヤヲの間
第四拍半の謡出し=ヤヲハの間
前句八拍の謡出し=半セイの間【9】


 ほかにも「当ヤの間(アタルヤノマ)」だとか「当ヤヲハの間(アタルヤヲハノマ)」「長キヤヲハの間(ナガキヤヲハノマ)」なども存在するらしい【10】。
 ちなみに、合唱に親しい人なら、当然「ヤヲ(オ)ハ」は馴染み深い〈ハヤシコトバ〉として想起されるだろう。

 
 ここで『王孫不帰』に戻る。

 いまとなれば、三善氏があえて拍子をあえて小数で表記したのは、半拍への意識を促すため、と考えることができるのではあるまいか。『王孫不帰』の解釈や読解はネット上でも幾つかあがっているが、小数で表記された拍子への言及は少なかったので、今回書くことにした。謡のリズムや拍子の研究は、さらに『王孫不帰』の読解を役立たせてくれるだろうが、今回はとりあえずこれ以上触れないこととする。

 

 

・・・・・ 

 最後に雑感を述べさせていただきたい。

 三善氏は能楽における謡の理論を知ったうえで、かような作品を生んだのか、それとも理論を知らずに結果としてそうなってしまったのか。そんな疑問が記事を作成している途中、ふと生じた。

 真実はわかりえないが、ブログ主は後者だと思っている。

 法政アリオンさんの公式HPに、作曲者の言葉がいくつか紹介されているが【11】、それを読めば、三善氏は理論を中心素材に作曲したのではなく、個人の内的体験への(戦慄するほかないほどの)厳しい眼差しから曲を生んだことが知れる。従って、能楽の謡の理論を緻密に研究したうえで作曲したというより、過去の体験を反芻しつづけて作曲したと考えた方が、よいのではないか。

 となれば、理論を視座に『王孫不帰』を考えること(歌うことしかり、聴くことしかり)には、必ず限界があるはずである。内的体験――それはときに「フィジカル」で「生々しい」体験から誕生した作品を、構築化された理論という「よそよそしい」ものをもって眺めるのは、いささか滑稽ではあるまいか。しまった。

 という思いにやられてしまったが、最後に三善氏のことばを引用して、記事を終える。

 

 

 私にとって第二曲目の男声合唱曲ですが、色々の意味で初めての内的な体験が、この曲の素描に先行しました。
 田中信昭さんと語り合うとき、よく話題になることですが私達がポリフォニイを実感的に把握するのにどこかぎこちないところがある、なにか、よそよそしい。あの、建築学的な構造性や弁証法的な論理が、どうも体の外にあるような感じがします。それは、ホモフォニックな音楽の内声を歌うときにもつきまとう問題です。
 三好達治のこの詩を凝視めている長い間に、裡に聴えて来る音がある、それが、この課題を、創作という営為の中で追ってみよう、と思わせる音でした。
 以下に述べることはすべて、この詰が私の想像に課した、あるいは輿えた内的作業の経過の中にありました。
 第一には、この詩を口にする旋律の動向ですが、私自身の過去の環境に染みていた観世流の言商いや、たまさかに触れた声明のそれが、想像の中でふくらんでくる。あの言商いまわしは、ある意味では非日常的な語法ですが、私の心の深度では、ほとんどフィジカルな、と言える生々しい形質を持っています。
 具体的にそれはまず、イントネーションと音価の独自性に顕われてくるのですが、それこそ、言両者の呼気と吸気とが詞を体現する、心情的にも生理的にも必然な技法だと思います。
 当然それは発声法や、音程感や、フレージングに特性をもたらすことになる。こうしてSoliを含む9部の各声部の旋律動向が具体的な音のイメージとして定着してきました。この場合、旋律動向とは、単なる音程関係を意味するのでなく、それ自体の音楽的規制力や自発性に依って、ディナミークやリズムの特性をアプリオリに包含しています。
 第二に、このようなポリフォニーの素材がもたらすクラスターの処理です。
 誦いや声明のそれは、心情的にも技法的にも、たとえば墨絵がすべての色彩を含んでいるのにひとしい、音の、謂わば、幅なのですが、西欧的な手法としては、まずそれは非和声音の特殊な一時的状態、あるいは解決の変態または中断された形としてとらえられ、やがて今は、それ自体の即自性を持った音のかたまりとして扱われています。
 この曲では、上記のどの考え方もしない、あるいは、そのどれをも導入した、と言えます。実際、前述した旋律動向が多声で重なるすべての時点を縦にとらえて分析し直した結果を、この曲の素描の出発点としたわけです。
 第三には、中間部分に聴かれるように、ポリフォニックな手法と、フーガのストレットのaccelerando句や、走句ritenuto、fermataなどの構成法をも意識しました。
 いや、むしろ、この詩の詩法は原理的には非常に弁証法的な構築性を持っているので、ある意味で、このような手法はこの曲の持続統一の重要な裏打ちになっていると言えます。
 つまり、曲全体の持続を横に見通すとE音を主柱として発現する呼気と吸気があり、それが前述のクラスターを含めて増殖し、やがてE音に吸収され凝縮する、それを詩句そのものの暗示に依るものとすれば、縦の形式上の重力の配分や構成は、この詩の詩法が契機となって私の裡に、謂わば、感情自体の即自作用を起した結果だと言えます。メチエとしては形式の力学に属するものです。
 この話そのものについては、私なりの実情があります。しかしそれは不帰の人達への弔慰や贖罪、ひいては悲しみとかあるいは怒り、そのどれであるとも言えない、生者は、生者自身の中に、この詩をつぶやく対手を持っていると思いますから。

 

三善晃

王孫不帰について【13】

 

 

※付記

これまで何度も間宮芳生氏について触れさせていただいているので、次回か次々回は間宮作品についてかな・・・。

 

 

 

1 法政大学アリオンコールHPから引用。 インタビュー of 第2部

2 合唱団お江戸コラリア-ず第18回演奏会パンフレットを引用・参考にした。

3 横道萬里雄・片岡義道・佐藤道子・岩田宗一編『聲明大系』(法藏館 1983~1984年)

4 柴田南雄『日本の音を聴く』(青土社 1983年)

5 『謡リズムの構造と実技 能―地拍子と技法』(檜書店 2002年)。なお、併せて参考文献として横道萬里雄『岩波講座 能・狂言 Ⅳ能の構造と技法』(岩波書店 1987年)も参照されたい。

6 前掲『謡リズムの構造と実技』P26から引用。

7 前注に同じ。

8 前掲『謡リズムの構造と実技』P28から引用。

9 前掲『謡リズムの構造と実技』P36から引用。

10前注に同じ。

11委嘱作品2 of 委嘱作品

12前注に同じ。

 

 

引用・参考文献一覧

三善晃『王孫不帰』(全音楽譜出版社 1973年)

横道萬里雄『謡リズムの構造と実技 能―地拍子と技法』(檜書店 2002年)

横道萬里雄『岩波講座 能・狂言 Ⅳ能の構造と技法』(岩波書店 1987年)

合唱団お江戸コラリア-ず第18回演奏会パンフレット(2019年)

柴田南雄『日本の音を聴く』(青土社 1983年)

丘山万里子『生と死と創造と――作曲家・三善晃論』( musicircus 2006年)

法政大学アリオンコールHP 委嘱作品2 of 委嘱作品

法政大学アリオンコールHP インタビュー of 第2部

 

 

 

 

 

G.リゲティの合唱作品

 青年時代、私はバルトークコダーイ、あるいはハンガリールーマニアの民俗音楽に影響を受けた。コダーイの仕事が刺激となって、ハンガリーでは声楽ポリフォニーへの回帰が起こっていた。当時、プロやアマチュアの合唱団が多く存在し、ルネサンス期の作品や近・現代ハンガリーの作曲家による作品を歌っていた。学生のころ、私は小さな私的なアンサンブルで(友人たちと一緒に)、しばしば合唱を体験した。もっとも、私はこういったアンサンブルのためにかなりの数の無伴奏合唱作品を作ったのである。

 
G.リゲティ

『György Ligeti Edition 2: A Cappella Choral Works』ブックレット

(以下、ブックレット)【1】

 

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リゲティ(右)とナンカロウ

 


 孤高の天才【2】、リゲティ

 ハンガリーで誕生したこの偉大な作曲家が遺した合唱作品について。
 

 


György Ligeti - Études for Piano (Book 1), No. 1 [1/6]

 


György Ligeti - Études for Piano (Book 2), No. 10 [4/9]

 

 

 上にあげたのはリゲティの真面目を知るうえで最適の作品だと思われる、『Études for Piano』のうちの一作である(第1集から1番「Désordre」。和訳すれば「無秩序」)。

 このハンガリーの作曲家は、機械楽器や諸国諸地域の民謡、数学に美術、現象学などをアイディアに【3】、多彩な作品を生み出し続けた。ピアノ・エチュードは、そんなリゲティの作曲家性をとみに教えてくれる作品だと思われるので、紹介した。

 

 

リゲティは作曲にあたって、様々な側面からインスピレーションを受けていた:セロニアス・モンクビル・エヴァンスといったジャズピアノから、そしてサハラ以南のアフリカの音楽文化(それは、時として非常に速いパルスをもつ音楽)からフラクタル幾何学や、マウリッツ・エッシャーの遠近法錯覚の手法まで影響を受けている。それら全てがリゲティ自身の音楽言語と融合しており、彼の言葉を借りるならば、それは「前衛的でも伝統的でもなく、調性音楽でも無調音楽でも、そしてポストモダンでもないのだ」(リゲティ

 

トーマス・ヘル
『"息を切らして" -リゲティのピアノのためのエチュードへの誘い

-【前編】』【4】

 


 リゲティは、自身がそう語っているように、ひじょうにたくさんの合唱作品を手がけた(最初の作曲者自身の言葉をみていただきたい)。あるいは、合唱ではなく〈声楽〉という括りにしてみれば、もっと数は増す。合唱については後に詳しく色々と書くつもりだが、もし声楽作品が気になってしまった方がおられたら、ぜひ『El misterio de la macabra』や『Nouvelles Aventures』など聴いて(ご覧)いただきたい。


 SONYから発売されているシリーズ『György Ligeti Edition』は、彼の仕事を知る資料として、最良のもののひとつで、2番の内容はタイトルの通りア・カペラ作品集となっている。収録曲数は37とヴォリュームがあり、『Lux aeterna』といった代表作から、あまり上演されなさそうな小品まで収められている。
 ブックレットにある作曲者の言葉をみると、彼はバルトークコダーイ、民謡の影響を受けて合唱作品を手掛けたとあるが、特にバルトークの影響は絶大だったといえる。バルトークリゲティの民謡研究に影響を与えたのはよく知られているし【5】、リゲティの初期のピアノ作品『Musica Ricercata』のうち数曲が、バルトークのオマージュとして作られている事実を鑑みれば、バルトークリゲティの作曲家性における、重大なエッセンスであることがわかる。

 神月氏が著書のなかでそのあたりのことを簡潔に書かれているので引用する。

 

リゲティは・・・「バルトークの先」を模索しながら作曲を続け、特に1995年以降になると、伝統的なスタイルを確立する姿勢を強めていった。これらの技法の特徴を要約すると、音組織ではバルトーク風の半音階やグリッサンドのほハンガリーの5音音階を用いている。またリズムの面ではアクサクやハンガリー語の抑揚に従った拍節などを取り入れている。

 

神月朋子『ジェルジ・リゲティ論』P43


 余談だが、わが国にもバルトークの民謡採収に影響を強く受けた作曲家がいる。いわずと知れた間宮芳生氏である。氏は自著『現代音楽の冒険』において【6】、『コンポジション』シリーズや『弦楽四重奏』の作曲動機として、バルトークの活動が大きく機能したことを明かしている。
 では、リゲティはどのように民謡を自作品に活かしたのか。目下、その手法は大きくふたつ存在する。ひとつは実在する民謡の旋律に基づいた手法。作曲者はトランシルヴァニアで調査を行ったことがあり、のちに『Magos kösziklának』や『Húsvét』といった作品にしたといっている【7】。そして、いまひとつは歌詞のみを民謡から採用するという手法。リゲティはこれを「民衆的精神に則った自由な創作」といっており【8】、具体的な作例としては、組曲『Haj, ifjúság!』がある(下に動画を掲載したが、驚くほど聴きやすい合唱曲である!)。

 

 

第1曲は、民謡編曲であるように聞こえるが、実のところは歌詞だけが民謡に基づいており、旋律は自由に創作された疑似民謡である。第2曲では(やはり歌詞は民謡に基づいており)、旋律は民俗舞踊のものを用いている。ただし、この舞踊旋律はハンガリーのものではなく、ジプシーに由来している。


                        ブックレット【9】

 

 


György Ligeti - Haj, ifjuság! - Le Choeur du Brouhaha en concert

 


 だが、なにもリゲティは民謡だけを合唱作品のコンセプトにしたわけではない。たとえばキリスト教典礼文を素材にした作品も遺している。その代表作が『Lux aeterna』や『Requiem』である。リゲティ作品を知る人びとにとっては周知のとおり、この2作にはまた、ラテン語であるという点以外に、共通するところがある。〈ミクロ・ポリフォニー〉の採用である。
 幸いにもブックレットに作曲者自身の簡単な解説があったので、引用しよう。

 

 

「ミクロ・ポリフォニー」とは、音のテクスチュアの密度が高いために個々の声部が聞き取れず、結果として切れ目なく移り変わってゆく和声の流れだけが知覚されることになるような音の織物を指す。

 

ブックレット【11】

 
 

 ミクロ・ポリフォニーが誕生した契機のひとつとして、トータル・セリエリズムへの批判が挙げられる【10】。音高だけでなく、音を成立させるすべての要素(音強、音価、音色)にセリーを与えるトータル・セリエリズムは、堅固な論理的一貫性を作品に付与することができたが、つくられた音楽が蓋し静動的なものになってしまうというジレンマに陥った。つまり、強固な法則性を与えた結果、出来上がった作品を聴いた時の印象が、画一的になってしまったのである。この打開策として、リゲティはミクロ・ポリフォニーなる技法を生んだのだ。

 実際、リゲティのミクロ・ポリフォニーを聴いてみれば、そこで独特の知覚体験を得られずにはいられない。『Lux aeterna』は16声部の混声合唱作品で、巧みな音高操作とアーキテクチャによって、一体いまどの声部が歌っていて、どのように旋律が生みだされているのかの判断が難しくなる。リゲティがうえで語っているように、切れ目のない演奏が無限を感じさせる。尤も、このような高度な多声合唱作品はルネサンス時代にもつくられているが(T・タリスの『40声部のモテット』など)、その質も意図も全く両者では異なるので、当然ながら安易に比較することはできない。だが、『Lux aeterna』はたいへん美しい作品なので、リゲティ推しであるブログ主としては、ぜひとも読者に聴いていただきたい...。

 


György Ligeti - Lux Aeterna [w/ score]

 

 ちなみにアルバムには未収録の『Requiem』の2番「Kryie」は、混声20声部が複雑なカノンを呈示する曲で、S.キューブリック監督の作品に用いられていることで有名だ【12】。そういえば最近、本作は日本でもJ.ノットの指揮で上演された。

 

 


György Ligeti, Requiem

 

 

 リゲティの作品には、確かに難解な点がある。それは技術的な意味でもそうだといえるし、聴くうえでもそうだと思われるかもしれない。しかし、真摯に対峙してみれば、実に美しい音楽がそこにある。リゲティは自作の難しさについて、技術それ自体が目的とされているわけではないと語っている。それはすべてポエジーのためだと 【13】。
 

 

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自作『Poème Symphonique for 100 metronomes』の用意をするリゲティ

 

 

 

1 『György Ligeti Edition 2: A Cappella Choral Works』(SONY CLASSICAL 1992)のブックレットP7から引用。

2 たかの舞俐氏は、『体験的作曲家論 —自作品とジェルジ・リゲティの作曲クラス— Empirical composition theory -My works and György Ligeti’s composition class - 』P2において、次のように書いている。

 

 

リゲティはよく生徒に「自分は、昔のアヴァンギャルド時代の仲間とはもう意見が一致しない。ライヒやライリーのミニマル音楽を彼らは理解しない。自分は孤独である」と語っていた。

 

 

3 リゲティが受けた影響のものとして、最後にブログ主は現象学と書いている。ここでいう現象学とは、ヘーゲルのそれでもなく、フッサールのそれでもなく、ハイデガーのそれでもない、モーリス・メルロ=ポンティ現象学であるとご理解いただきたい。リゲティとポンティの研究は、既に神月朋子氏が『ジェルジ・リゲティ論 音楽における現象学的空間とモダニズムの未来』(以下、『ジェルジ・リゲティ論』)(春秋社 2003年)に詳しいので、興味のある方はご参照を願う(蛇足だが、リゲティとポンティの関係を巡った著作はおそらく本邦においては他に例をみないのではないか)。

4 トーマス・ヘル 『"息を切らして" -リゲティのピアノのためのエチュードへの誘い-【前編】』 から引用。しかし、ここで引用されているリゲティ自身の言葉については気になるところがある。前掲『体験的作曲家論 —自作品とジェルジ・リゲティの作曲クラス— Empirical composition theory -My works and György Ligeti’s composition class - 』P25に、トーマス・ヘルが紹介した言葉にたいへんちかいセンテンスが登場するのだが、両者間に微妙な違いがある。以下、たかの氏の論文から引用。

 

 

“neither ‘avant-garde’ nor ‘traditional,’ neither tonal nor atonal,”(アヴァンギャルドでもない、伝統的でもない、調性でも、無調性でもない)」 (Dufallo 1989:334–35)

 


5 よく知られるように、バルトークハンガリーの民謡を採集し、自作の素材にした。

6 間宮芳生『現代音楽の冒険』(岩波書店 1990年)

7 前掲『György Ligeti Edition 2: A Cappella Choral Works』(SONY CLASSICAL 1992)のブックレットP8から引用。
8 前注に同じ。
9 前注に同じ。
10 神月氏の著作によれば、以下の3つのと要因からミクロ・ポリフォニーは誕生したという。①固有の音響像の構想 ②電子音楽体験 ③セリー主義への批判的受容。詳細は前掲『ジェルジ・リゲティ論』「ミクロ・ポリフォニーの成立」を参照されたい。

11 前掲『György Ligeti Edition 2: A Cappella Choral Works』(SONY CLASSICAL 1992)のブックレットP9から引用。

12 キューブリック監督はリゲティの作品を多く自身の劇伴音楽に用いたことで有名。

13 Michel Follin『Ligeti - Portrait Documental』(1993)

 

 

 

児童合唱作品 『しゅうりりえんえん』

 花壺のように彼女らはゆれていた。彼女らの中に何が宿っていたのだろう。ひょっとして、人生最初の心の錘りが、この世の変相を映す岸辺にとどく錘りが、この少女たちに宿ったかもしれない。
 選らばれた処女神たちのように彼女たちは歌う。教会での聖歌ではなく、人びとの生まの身から成り立っている煉獄の渕に立って、おそれを知らぬ花びらのように、少女らは その歌声で舞った。
  石牟礼道子 『清婉な声の花びら―新座の少女たちの合唱―』 【1】

 

 

 

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厚生労働省前で抗議をする石牟礼道子



 荻久保和明氏が手掛けた合唱曲『しゅうりりえんえん』は、そもそも児童合唱曲として誕生した。今日、わたしたちはこの作品を混声、女声、稀に男声合唱作品として聴くこともでき、それぞれCDが発売されていたり、動画がネット上で公開されていたりするので、作品がどんなものか知りようがある 【2】。

 だが、繰り返しになるが本作はそもそも児童合唱作品である。
 残念ながら児童合唱版は演奏の機会が少ないようで、録音に関しても、かつてフォンテックレコードが発売した限りで、CD化はされていない。気になる方は東京藝大図書館などで視聴していただきたいのだが、とりあえず今回の投稿では、『児童合唱とピアノのためのしゅうりりえんえん 石牟礼道子作「みなまた 海のこえ」より』が、なぜ児童合唱作品として生まれたか、雑感と共に記したい。そして、今後の投稿では作品のコンセプトや石牟礼道子氏について追っていきたい。


 さて、作曲者にいわせれば、『しゅうりりえんえん』が子供のための合唱として誕生したことは偶然であったらしい。いわく、

 

 

子供用の合唱曲を書こうとは思わなかった。深くて厳しい音楽こそ書きたかった。それを歌うのがたまたま子供達だったに過ぎない。
            荻久保和明 『繩文なるものを求めて』【3】

 


 ここで荻久保和明氏は「たまたま」という語を遣われているが、果たして本当に「たまたま」だったのか。いや、おそらく、違う。作曲者自身の内面において、なにか児童合唱作品にせねばならぬというような動きがあったのではないか。「深くて厳しい音楽」を具現化するためには児童合唱にするほかないという無自覚な働きがあって、それで子供たちのための作品としたのではないか。無自覚であるがゆえに、作曲者は「たまたま」としかいえないだけだ、としなければ、この「たまたま」の語法は頓珍漢なものになってしまわないか。
 間宮芳生氏の『合唱のためのコンポジションⅣ 子供の領分』は、児童合唱作品の名作だが、あの作品が児童合唱なのは、モティーフが<わらべうた>であるからにほかならない。同じ理由で柴田南雄氏の『北越戯譜』もまた児童合唱なのである。あるいは『チコタン』が児童合唱なのは、子どもの交通事故を防止する意図があってのことで(これはこれでなかなか生生しい話だが)、いずれも『しゅうりりえんえん』的な決定理由とは次元が違う。
 『しゅうりりえんえん』は荻久保和明氏の精神が決定したのであって、そこには作品のモティーフやテーマと関りがまるで無いのである。
 筆者自身も、本作が児童合唱作品であると初めて知ったときは、幼い声が表現する特殊な生々しさを打ち出したいと考えてのことなのだろう、なんて思ったが、実際はもっと深淵で、恐ろしかった。


 初演は新座少年少女合唱団。1984年11月2日金曜日。練馬文化センターが初演だという【4】。 荻久保和明氏は彼らの演奏に甚く感動したようで、あつい賛辞を送っている。ただ、石牟礼道子氏はやむを得ない私用で初演に臨席することが叶わず、後日に送られてきたテープで、その演奏を体験することになる。その感想が、冒頭に掲げた美しい文である――つまり、これは戦慄するよりないが、石牟礼道子氏は想像であのような衝撃的な言葉を織りなしてしまったのである。それが可能なのは、シャーマニックなひとか狂人の、どちらかでしかない。――。
 思わず息を吞む。まさしくワダツミのような力強さと美しさを備えた文章だが、新座少年少女合唱団の演奏も、固唾を吞む凄絶さをもった演奏である。その美声は、たしかに作詩家が「少女たち」と聞紛うことも首肯せざるをえぬ、壮麗で、逞しい、乙女らしさをふくめている。それが丸木夫妻の絢爛の色彩を思い起こさせることはいうまでもない。

 

 世界をくまどる無限の彩のように、まだ生まれないでいる音楽がある。人間と音楽との間にかかっている心ふるえるような暗喩を、作曲家というものは取り出してみせるのだとわたしわ思った。【5】
  石牟礼道子 『清婉な声の花びら―新座の少女たちの合唱―』 【6】

 

 


1 『荻久保和明合唱作品集 児童合唱とピアノのためのしゅうりりえんえん 石牟礼道子作「みなまた 海のこえ」より』以下、『荻久保和明作品集』(フォンテック 1984年録音)解説より引用。
2 混声版は大久保混声合唱団さんによるよく知られた録音が発売されているし、最近、Chiba ladies' choir mille foglieさんが女声版をYouTubeに投稿された。男声版に関しては、淀工グリーさんが『ゆうきすいぎん』を演奏されていて、これもCDとして世に送り出されている。
3 前掲『荻久保和明合唱作品集』より引用。
4 前注に同じ。
5 原文のまま記した。

6 前注に同じ。