間宮芳生『合唱のためのコンポジション 第6番』第1楽章と第2楽章の素材確認

 

 長年日本の作品を歌いつづけて来た法政大学アリオン・コールの為に男声合唱を是非との私の頼みに、彼はニコリとして「今度は六番だから田園だな」と答えて呉れた。・・・

 翌1968年5月26日、学生達は熱演―初演は成功した。会場のあちこちでこんな声が聞かれた。 「今までのコンポジションとはちがう――。」「間宮芳生がこの曲を契機に大きく飛躍した――。」

 

田中信昭

解説【1】

 

 

 これまでは、新しい素材に湧き立ち、そこから必然的に出て来る技法の開拓に、常に新鮮な意図を盛り込んでいた。「第六番」とて、新しい可能性への実験という意味では、決してこれまでとは違っていないが、その目指すところが、何か或る固定した目標を持つように思えるのが「第六番」である。

 

小泉文雄

解説【2】 

 

 

 

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渡辺暁雄氏らと話す間宮芳生氏(右から2人目)

 

 

 予告通り、間宮芳生氏の作品を取りあげる。

 『ニホンザル・スキトオリメ』の公演を皮切りに、再び脚光を浴びている間宮氏の仕事は、いうまでもなく多大である。記事を作成するにあたって書くことに色々と悩んだが、『合唱のためのコンポジション 第6番』(『男声合唱のためのコンポジション』)より、第1楽章と第2楽章の素材の確認をすることで落ち着いた。

 本作はつい最近にお江戸コラリア―ずさんが定期演奏会でとりあげられたし、個人的に好きな作品のひとつだからである。第3楽章をとりげなかった理由は、本楽章の素材となった兵庫県は亀岡八幡神社の芸能、大分艪囃子、木場のかけ声の情報を集められなかったためである。従って、「とりあげたくてもとりあげられなかった」といった方が正確なのだが、いずれこちらも付記するつもりでいる。また、第1楽章の素材として扱われた岩手県稗貫郡亀ケ森村の田植踊に関しても、小泉文夫氏の採譜のみしか見つけられなかったことを、予めおことわりさせていただく。

 

 

 

 第1楽章は岩手の稗搗唄、掻田打の唄がモティーフにある。

 「稗搗唄」と検索をしてみれば、本作にまつわる情報ばかりがでてきてしまうが、これを「稗搗節」としてみると。

 

 

稗搗節
ひえつきぶし

 

九州地方の代表的民謡。宮崎県東臼杵(うすき)郡椎葉(しいば)村で歌われてきた。本来は、焼畑のヒエ畑から穂先だけを刈り取り、木の臼(うす)に入れて杵(きね)で搗(つ)いて脱穀するときの仕事唄(うた)である。ヒエを常食してきた農村のなかには、たとえば岩手県の北上山系地帯や熊本県の山地のように、ヒエを搗くおりの仕事唄がいまも残っているという。宮崎県の椎葉村でもヒエやアワを栽培し常食としてきた。冬の農閑期に親しい者同士が一つ家に集まり、ヒエを搗きながら唄を歌う。男女が集まれば恋の唄の掛け合いとなる。椎葉村のこの仕事唄は、ダム工事に村に入った工事関係者たちから広められ、1953年(昭和28)レコードに吹き込まれてから全国的に普及した。とりわけ那須(なす)大八郎と鶴富(つるとみ)姫とのロマンスを盛り込んだ歌詞は、若い人たちにも受け、秘境の観光宣伝とともに、訪れる人たちの口からもほうぼうへ広められていった。

 

コトバンク【3】

 

 

 間宮氏が素材に扱ったのは、正にこの文中にある北上の仕事唄にほかならない。

 以下、採譜されたものを付す【4】。

 

 

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和賀郡岩崎村 稗搗唄

 

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和賀郡江釣子村 稗搗唄

 

 

 『日本民謡大観 東北篇』をみると、実に岩崎(北上市)の稗搗唄というのはいろいろあって、「〽此處らでは、稗搗き手間に」とはじまるものもある【5】。間宮が中心的に扱ったのは「〽お前達」からはじめる稗搗唄で、 本に意訳が載っていたので、下に記す。

 

〽 お前達、稗搗く中ばり(ばかり)チャヂャコ(お世辞を云ふ)だてよ 〽 搗いてしまへば、アバエまた來よ、カラキタ(戸を閉めてしまう)とよ

 

【6】

 

 

 稗は丈夫で、しかも長期的な保存が可能となるので、冷害に見舞われやすい土地では重宝されるという。岩手県北上市は稗の名産地だから、このような仕事唄が作曲されたのであろう。本によると、麦の収穫の仕事唄に転用してもいるという(現在も同様であるかは、わかりません)。

 最後に、曲の後半に登場する岩手県稗貫郡亀ケ森村(現在は花巻市に合併)の田植唄の採譜を付す【7】。未だこの民謡については調査中なので、今後、情報を得次第、追って記すつもりでいる。

 

 

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稗貫郡亀ケ森村 田植踊 掻田打の唄

 

 

 


第1楽章 - 『男声合唱のためのコンポジション 2』(第95回定期演奏会)

 

 

 第2楽章は冗談抜きに国際的に歌われているようだ。特に北欧。スウェーデンの王立合唱団Orphei Drängarも歌っているし【8】、エストニアだろうか? なにかのコンクールで一般団体が歌ってる動画がyoutubeに挙がっていた。

 

 


Michio Mamiya "Composition for Chorus 6:2"

 

 

 相沢直人氏も海外で演奏されていたし【9】、国内外を問わず演奏されているわけだ(第2楽章に限るが)。

 素材は青森県八戸の神楽権現に依ったという。

 

 


法霊神楽 権現舞 実写(青森県八戸市)

 

 

 前掲『日本民謡大観 東北篇』に採譜されたものが載っていたので、下に付す【10】。

 

 

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青森県八戸市 八戸神楽 権現舞



 本によると、八戸神楽は土地では単に「権現舞」と呼ばれているらしい。三戸郡上長苗代村に住まう、矢澤、大佛、笹野澤の三家が組織しているらしい。舘村(現在は廃村)の櫛引八幡宮や、八戸湊町に鎮座する大祐神社 に奉納されるという【11】。

 

 


第2楽章 - 『男声合唱のためのコンポジション 2』(第95回定期演奏会)

 

 

 以上、情報に偏りができてしまったが、今回はここで記事を終えることにする。

 間宮芳生氏の作品は今後もブログで記事にさせていただくつもりでいる。つぎに扱うとしたら、『合唱のためのコンポジション 第3番』あたりだろうか・・・・。また、再三繰り返してきた通り、新しい情報が得られ次第、付け加えていきます。

 

 


合唱のためのコンポジション第6番 1968(初演)

 

 

 

1 間宮芳生『明治百年記念芸術祭参加 MICHIO MAMIYA COMPOSITIONS FOR CHORUS 1956~‘68』(以下、『MICHIO MAMIYA COMPOSITIONS FOR CHORUS』)(ビクター 1968年)解説書P37より引用。

2 前掲『MICHIO MAMIYA COMPOSITIONS FOR CHORUS』解説書P36より引用。

3 稗搗節(ヒエツキブシ)とは - コトバンクより引用。

4 日本放送協会日本民謡大観 東北篇』(日本放送協会出版 1992年)P93、および、前掲『MICHIO MAMIYA COMPOSITIONS FOR CHORUS』解説書P36に掲載された楽譜を参考に、作成した。

5 前掲『日本民謡大観 東北篇』P36を参照されたい。

6 前掲『日本民謡大観 東北篇』P36より引用。

7 前掲『MICHIO MAMIYA COMPOSITIONS FOR CHORUS』解説書P36に掲載された楽譜を参考に、作成した。

8 Orphei Drängarのアルバム『Daiamonds』(BIS 2003年)に収録。ちなみに、Orphei Drängarは『合唱のためのコンポジション 第3番』第一楽章も歌っている。

 

 


Orphei Drängar 合唱のためのコンポジション第3番〜Ⅰ. 艫

 

 

9 2018 Busan Choral Festival & Competitionにて、相沢氏はAZsingersを率いて演奏した。

 

 


2018 Busan Choral Festival & Competition / OCT 19 Classical Equal / AZsingers

 

 

10前掲『日本民謡大観 東北篇』P66に掲載された楽譜を参考に、作成した。

11前掲『日本民謡大観 東北篇』P66を参照されたい。

 

 

参考文献

間宮芳生『明治百年記念芸術祭参加 MICHIO MAMIYA COMPOSITIONS FOR CHORUS 1956~‘68』(ビクター 1968年)

間宮芳生『現代音楽の冒険』(岩波書店 1990年)

日本放送協会日本民謡大観 東北篇』(日本放送協会出版 1992年)