登理母都加比曾 ――高橋悠治: 『鳥も使いか』について

 

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高橋悠治(1938~)

 

弟、男淺津間若子宿禰命、坐遠飛鳥宮、治天下也。此天皇、娶意富本杼王之妹・忍坂之大中津比賣命、生御子、木梨之輕王、次長田大郎女、次境之黑日子王、次穴穗命、次輕大郎女・亦名衣通郎女御名所以負衣通王者、其身之光自衣通出也、次八瓜之白日子王、次大長谷命、次橘大郎女、次酒見郎女。九柱。凡天皇之御子等、九柱。男王五、女王四。此九王之中、穴穗命者治天下也、次大長谷命治天下也。

 

天皇初爲將所知天津日繼之時、天皇辭而詔之「我者有一長病、不得所知日繼。」然、大后始而諸卿等、因堅奏而乃治天下。此時、新良國主、貢進御調八十一艘。爾御調之大使・名云金波鎭漢紀武、此人深知藥方、故治差帝皇之御病。[1]

 

8月某日 三軒茶屋自宅

読響との演奏会終了。「鳥も」では指揮せず、銅拍子と鏧子など小道具を演奏し、曲名を言うだけなのに、特に銅拍子は本当にむつかしい。さわりを残さなければいけないと言われても、なかなかうまくいかない。無心になってやるものなのだそうだ。鏧子も、チーンとならせば良いのかと思っていたが、高い倍音を消すように、緩く向こう側に少し撫でるように叩かなければならない。われながら、煩悩の塊だと妙に実感する。

 

本番、本当に無心になって初めて銅拍子がとても美しく響き、さわりがいつまでも消えなかった。余りに無心になっていて、次に「島」というはずの題名を「鳥」と言い間違えてしまった。もう一生銅拍子は叩きたくない、と思っている。仏具はそれに見合った人格者が触らなければいけない。尤も、演奏は本條君が実に見事に歌い上げてくださったし、オーケストラも彼に美しく沿ってくれたから、全く文句をつけるところではない。自分自身の煩悩に嫌気がさしただけである。[2]

 

 美しいはなしだ。こんなんありか。

 仏教学なんか専攻していると、よっぽど宗教思想や信仰を疑ってしまうな。性分の問題でもあるんだろうけど、宗教に対する実直さは、幼かりし頃に較べれば、どんどん自分のなかから失われていっている気がする。

 

 高橋悠治氏の『鳥も使いか』。

 サントリーホールのサマーフェスティバルで聴いた一作から。杉山洋一/本條秀慈郎/読売交響楽団の演奏。08 / 26の回。

 先だって岩城宏之/高田和子/オーケストラ・アンサンブル金沢による録音を聴いていたが、実際にライヴで聴いたところ、録音から感じていた以上に詩的な作品だった。三弦の独奏にはじまり、徐々にオーケストラと、歌とが奏されていって、みるみる時間の層が現出していく。限りなく三弦が抒情的に聴かれるのは、楽器の魔力だろうか。伊福部昭は、楽器そのものが説得力をもちすぎるという理由から三味線を好まなかった[3]。作曲者の解説によれば[4]荒神琵琶≪妙音十二楽≫に触発されて編成は誕生した。妙音十二楽は、鹿児島県は中島常楽院で演奏される。指揮者が演奏する楽器はみな仏教儀礼の楽器で、いずれも妙音十二楽でも使用されるので、おそらく高橋悠治氏はそのまま採用したのであろう。

 

一柳: オーケストラと三味線の間に色いろはいってくる音楽の入り方なんかも、随分これまでにはない、非常に、そういう意味では新しい作品。と、その三味線の面白さですね、それで、まあはい、選んだんですけどね。

 

沼野: 高橋さんいかがですか、この曲については。この曲が選ばれたということについては。

 

高橋: 選ばれたことですか。

 

沼野: 選ばれたことだけへなくてもいいです。エピソードでも何でも構いませんけど

 

高橋: んー、まあ、三味線はねえ、えーと、2、3年習ったんですよね、高田さんに。それで、非常に伝統的な教え方だった。1対1で、1フレーズを3回一緒に弾き、4回目に1人で弾いてごらんと言われてやり、はい今日はそこまでっちゅーんで、そういうお稽古ですよね。そういうのやって、質問をしてはいけない、それでそのうちにね、何か質問したら、それはいけない、もう教えない、ってまあ、破門されたわけね。で、破門されたんだけど、まあ作曲だけは続けてて、だからまあ、ある程度弾けるようになったんだけど、まあ弾くのはそこ止まりになりましたね。だから、その曲ですか。その曲は、まああの九州に琵琶と合奏の曲があるんですよ。それの形をとったから。だから三味線がソロでなんかやると、小さい合奏がね、まあ独立した曲をやるわけ。で、そういう風な交代のやり方ってのあったのね。だからその形をとったわけです。

 

沼野: まさにそれがさっき 一柳さんが仰ったような、まあ、全体としてかなり自由なとか緩やかな形というか、私の勝手な感想ですけどこの鳥も使いかっていう曲を聴くと、あの、長く感じるんですよね。実際ではこのディスクでは16分50秒なんですけど、30分ぐらいの時間が過ぎたような感じがする。それは決してもちろん退屈だからということではなくて、何かそこの中にあるものの時間の感覚っていうのが普通の曲と少し流れてる時間が違う感じがするんですよね 。

 

高橋: んー、それはちょっと、わかりませんね。だけどまあ、指揮者がいて、指揮者は何もしない。で、まああのー、そこに挿入される小さい曲のタイトルを言うわけですね。言うとまあ楽器が勝手に初めて、指揮者の役割は始まることじゃなくて、止めることなんですね。だから打楽器で叩いて、それでその合奏を止めると。そういう役割。[5]

 

 この作品には唐突な不自然さに満ち溢れている。「笹葉」「あられ」「蛎貝」「島」「鏡」「幡」「弓」「鳥」「遠音」という、指揮者による小題の声がけと、指揮者のたもとに並べられた楽器――木鉦、銅拍子、磬子――の、突発的な演奏である。この不自然さはしかし、それまでの時の流れを明確に区切るためになされる合図ではなく――したがって、たぶん、高橋氏がいうような「止める」とは――、むしろ新しい流れを生むための効果を発するものである。それは西洋音楽的な沈黙の導入――休符の使われ方、テンポの変化――以上に力強い。その意味で、指揮者に課せられた振る舞い、すなわち打楽器を打つこととは、まさに「句読点」を打つことであり、『鳥も使いか』は詩なのである。

 

 『鳥も使いか』は『古事記』の充恭天皇の章で語られている木梨之軽王と軽大郎女、あるいは衣通郎女とも呼ばれている二者をめぐった物語が素材となっており、指揮者が口にする種々の呪のような語もまた、『古事記』の充恭天皇の章にみえる語句である。記に登場する語の順番と、指揮者が口にする語の順番は一致しない。以下に参照する。

はじめに、「笹葉」「あられ」。実の兄妹であるふたりが侵犯した直後に詠められた歌にみえる。

 

佐佐波爾 宇都夜阿良禮能 多志陀志爾 韋泥弖牟能知波 比登波加由登母

 

 これは普通「笹葉に 打つや霰の たしだしに 率寝てむ後は 人は離ゆとも」と下されている。なお、西郷信綱によれば、これは笹葉とは庭先の笹を言っているのではなく、猪名の笹原のことだという。

 くわえて西郷信綱によれば、ふたりの名前は、ふたりの犯した罪に由縁があるという。以下の西郷の解説は、この記事の最初に引用した『古事記』の物語によせた註である。

 

≪木梨之軽王≫ 軽は大和国高市郡の地名、既出。木梨は地名か梨の一種か不詳とされるが(記伝)、実の妹に密通した話が下にかたられている点からみて、キナシは柵無、つまり実の兄と妹との間をへだてる垣をふみ越え、それを無くするのにもとづく名に相違ない。木、柵、域のキはみな乙類の仮名にぞくし、意味も通じあう。…(略)…かくしてキナシノ王とは、実の妹をひそかに犯した物語とわかちがたい名であることが納得される。万葉に「刈り薦の、一重に敷きて、さ寝れども、君とし寝れば、寒けくも梨」(一一・二五二〇)、「大き海に、立つらむ波は、間あらむ、君に恋ふらく、止むときも梨」(一一・二七四一)という風に「無し」を借字「梨」であらわす例がいくつかあるのも、木梨=柵無とする説を支えてくれる。[6]

 

≪軽大郎女≫ 兄の軽王と対をなす名だが、兄の方だけに「木梨之」とあってここにそれがないのは、禁を破るにさいし妹は受動と見たからだろう。[7]

 

≪衣通郎女≫ 古今集の序にはソトホリヒメとあるが、記伝にしたがいソトホシと訓む。名の由来は細注に「身の光、衣より通し出づればなり」とする。つまりソトホシは絶世の美女の代名詞のようなものであり、さればこそ軽王もついに禁を破ったという文脈である。ところが紀の方では、充恭の后・忍坂大中姫の妹(名は弟姫)が容姿絶妙で「其の麗しき色、衣を徹して是なり。是を以て人、号けて衣通郎姫と曰ふ」とあって伝を異にする。[8]

 

つぎに、「島」「蛎貝」。

 

此三歌者、天田振也。又歌曰、

意富岐美袁 斯麻爾波夫良婆 布那阿麻理 伊賀幣理許牟叙 和賀多多彌由米 許登袁許曾 多多美登伊波米 和賀都麻波由米

 

此歌者、夷振之片下也。其衣通王獻歌、其歌曰、

 

那都久佐能 阿比泥能波麻能 加岐加比爾 阿斯布麻須那 阿加斯弖杼富禮

 

 「夏草の あひねの浜の蠣貝に」。西郷信綱はつぎのような解説を付している。

 

あいねの浜の蠣の貝殻に、足を踏みつけたりなさるな、私のところで夜の明けるのを待ってお出かけなさいという意。[9]

 

「鏡」と「幡」、「弓」。

 

故追到之時、待懷而歌曰、

 

許母理久能 波都世能夜麻能 意富袁爾波 波多波理陀弖 佐袁袁爾波 波多波理陀弖 意富袁爾斯 那加佐陀賣流 淤母比豆麻阿波禮 都久由美能 許夜流許夜理母 阿豆佐由美 多弖理多弖理母 能知母登理美流 意母比豆麻阿波禮

 

又歌曰、

 

許母理久能 波都勢能賀波能 加美都勢爾 伊久比袁宇知 斯毛都勢爾 麻久比袁宇知 伊久比爾波 加賀美袁加氣 麻久比爾波 麻多麻袁加氣 麻多麻那須 阿賀母布伊毛 加賀美那須 阿賀母布都麻 阿理登伊波婆許曾爾 伊幣爾母由加米 久爾袁母斯怒波米

 

如此歌、卽共自死。故、此二歌者、讀歌也。

 

 

 そして、「鳥」。

 

故其輕太子者、流於伊余湯也。亦將流之時、歌曰、

 

阿麻登夫 登理母都加比曾 多豆賀泥能 岐許延牟登岐波 和賀那斗波佐泥

 

 だが、「遠音」という語だけはどうしても見えない。もしかしたら、作曲家が独自に追加した語なのかもしれない。狙いは読めないが、創作だとしたら秀逸だ。

 

三絃弾きうたいとオーケストラのための『鳥も使いか』(1993)は

1993年金沢で初演後 オーストラリア シンガポールの旅公演や 

他のオーケストラの共演もあった

 

  わたし自身も長い間組織の外で 手本のない道を歩いてきた(高田和子)

 

この協力関係は 平坦な道ではなかった

それまでの高田和子は 現代音楽作曲家たちの要求する超絶技巧を 

三絃という前近代の楽器で実現することのできた例外的なヴィルトゥオーゾだった

だが いっしょに探求したのは 楽器と伝統をさかのぼり

ありえたかもしれないが じっさいには存在しなかった

音楽の別なありかたを見つけること

 

20世紀音楽の 神経症的な速度や複雑な運動ではなく

繊細な音色の差異と 

拍節構造のような 外側からの規律ではない 

身体感覚にもとづく時間

モデルの断片を即興的に組み替えながら

他の楽器との関係をその場で創ること

 

これは 現代邦楽とは逆方向の道

現代音楽の制度からも外れていた

共演はしても 雅楽や声明でもなく 

どのシステム どのジャンルにも入れない音楽

 

しかも この冒険をつづけながらも

そこだけで閉じてしまわないように

まだ 制度に組み込まれていない 若い作曲家や演奏家をみつけて

それぞれが ちがう場に出ていく時もある

危うい同意のバランスの上で 逃亡しては また惹き付けられる

揺れうごく関係の磁場[10]

 

 

 

註:

[1]古事記』。記事に登場するほかの漢文も。

[2] 杉山洋一「しもた屋之噺(224)」http://suigyu.com/2020/09#post-7008

[3] ラジオ「現代の音楽」1975年10月24日回のトーク

[4] 以下に収録。サントリーホール『サマーフェスティバル2020プログラム』、(サントリーホール,2020)。

[5] DOMMUNEでのプレトーク。2020/08/19 WED19:00–24:00。筆者が独自に書き起こしたもの。

[6] 西郷信綱、『古事記注釈 第四巻』、(平凡社、1989)、243—244。

[7] 西郷信綱、『古事記注釈 第四巻』、(平凡社、1989)、244。

[8] 西郷信綱、『古事記注釈 第四巻』、(平凡社、1989)、244—245。

[9] 西郷信綱、『古事記注釈 第四巻』、(平凡社、1989)、273。

[10] 高橋悠治「花筐――高田和子を悼み」http://suigyu.com/noyouni/yuji_takahashi/post_900.html

 

参考文献、引用文献など:

サントリーホール『サマーフェスティバル2020プログラム』(サントリーホール,2020)。

西郷信綱古事記注釈 第四巻』(平凡社、1989)。

杉山洋一「しもた屋之噺(224)」http://suigyu.com/2020/09#post-7008

高橋悠治「花筐――高田和子を悼み」http://suigyu.com/noyouni/yuji_takahashi/post_900.html

倉野憲司『古事記』(岩波書店、1963)。