児童合唱作品 『しゅうりりえんえん』

 花壺のように彼女らはゆれていた。彼女らの中に何が宿っていたのだろう。ひょっとして、人生最初の心の錘りが、この世の変相を映す岸辺にとどく錘りが、この少女たちに宿ったかもしれない。
 選らばれた処女神たちのように彼女たちは歌う。教会での聖歌ではなく、人びとの生まの身から成り立っている煉獄の渕に立って、おそれを知らぬ花びらのように、少女らは その歌声で舞った。
  石牟礼道子 『清婉な声の花びら―新座の少女たちの合唱―』 【1】

 

 

 

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厚生労働省前で抗議をする石牟礼道子



 荻久保和明氏が手掛けた合唱曲『しゅうりりえんえん』は、そもそも児童合唱曲として誕生した。今日、わたしたちはこの作品を混声、女声、稀に男声合唱作品として聴くこともでき、それぞれCDが発売されていたり、動画がネット上で公開されていたりするので、作品がどんなものか知りようがある 【2】。

 だが、繰り返しになるが本作はそもそも児童合唱作品である。
 残念ながら児童合唱版は演奏の機会が少ないようで、録音に関しても、かつてフォンテックレコードが発売した限りで、CD化はされていない。気になる方は東京藝大図書館などで視聴していただきたいのだが、とりあえず今回の投稿では、『児童合唱とピアノのためのしゅうりりえんえん 石牟礼道子作「みなまた 海のこえ」より』が、なぜ児童合唱作品として生まれたか、雑感と共に記したい。そして、今後の投稿では作品のコンセプトや石牟礼道子氏について追っていきたい。


 さて、作曲者にいわせれば、『しゅうりりえんえん』が子供のための合唱として誕生したことは偶然であったらしい。いわく、

 

 

子供用の合唱曲を書こうとは思わなかった。深くて厳しい音楽こそ書きたかった。それを歌うのがたまたま子供達だったに過ぎない。
            荻久保和明 『繩文なるものを求めて』【3】

 


 ここで荻久保和明氏は「たまたま」という語を遣われているが、果たして本当に「たまたま」だったのか。いや、おそらく、違う。作曲者自身の内面において、なにか児童合唱作品にせねばならぬというような動きがあったのではないか。「深くて厳しい音楽」を具現化するためには児童合唱にするほかないという無自覚な働きがあって、それで子供たちのための作品としたのではないか。無自覚であるがゆえに、作曲者は「たまたま」としかいえないだけだ、としなければ、この「たまたま」の語法は頓珍漢なものになってしまわないか。
 間宮芳生氏の『合唱のためのコンポジションⅣ 子供の領分』は、児童合唱作品の名作だが、あの作品が児童合唱なのは、モティーフが<わらべうた>であるからにほかならない。同じ理由で柴田南雄氏の『北越戯譜』もまた児童合唱なのである。あるいは『チコタン』が児童合唱なのは、子どもの交通事故を防止する意図があってのことで(これはこれでなかなか生生しい話だが)、いずれも『しゅうりりえんえん』的な決定理由とは次元が違う。
 『しゅうりりえんえん』は荻久保和明氏の精神が決定したのであって、そこには作品のモティーフやテーマと関りがまるで無いのである。
 筆者自身も、本作が児童合唱作品であると初めて知ったときは、幼い声が表現する特殊な生々しさを打ち出したいと考えてのことなのだろう、なんて思ったが、実際はもっと深淵で、恐ろしかった。


 初演は新座少年少女合唱団。1984年11月2日金曜日。練馬文化センターが初演だという【4】。 荻久保和明氏は彼らの演奏に甚く感動したようで、あつい賛辞を送っている。ただ、石牟礼道子氏はやむを得ない私用で初演に臨席することが叶わず、後日に送られてきたテープで、その演奏を体験することになる。その感想が、冒頭に掲げた美しい文である――つまり、これは戦慄するよりないが、石牟礼道子氏は想像であのような衝撃的な言葉を織りなしてしまったのである。それが可能なのは、シャーマニックなひとか狂人の、どちらかでしかない。――。
 思わず息を吞む。まさしくワダツミのような力強さと美しさを備えた文章だが、新座少年少女合唱団の演奏も、固唾を吞む凄絶さをもった演奏である。その美声は、たしかに作詩家が「少女たち」と聞紛うことも首肯せざるをえぬ、壮麗で、逞しい、乙女らしさをふくめている。それが丸木夫妻の絢爛の色彩を思い起こさせることはいうまでもない。

 

 世界をくまどる無限の彩のように、まだ生まれないでいる音楽がある。人間と音楽との間にかかっている心ふるえるような暗喩を、作曲家というものは取り出してみせるのだとわたしわ思った。【5】
  石牟礼道子 『清婉な声の花びら―新座の少女たちの合唱―』 【6】

 

 


1 『荻久保和明合唱作品集 児童合唱とピアノのためのしゅうりりえんえん 石牟礼道子作「みなまた 海のこえ」より』以下、『荻久保和明作品集』(フォンテック 1984年録音)解説より引用。
2 混声版は大久保混声合唱団さんによるよく知られた録音が発売されているし、最近、Chiba ladies' choir mille foglieさんが女声版をYouTubeに投稿された。男声版に関しては、淀工グリーさんが『ゆうきすいぎん』を演奏されていて、これもCDとして世に送り出されている。
3 前掲『荻久保和明合唱作品集』より引用。
4 前注に同じ。
5 原文のまま記した。

6 前注に同じ。