G.リゲティの合唱作品

 青年時代、私はバルトークコダーイ、あるいはハンガリールーマニアの民俗音楽に影響を受けた。コダーイの仕事が刺激となって、ハンガリーでは声楽ポリフォニーへの回帰が起こっていた。当時、プロやアマチュアの合唱団が多く存在し、ルネサンス期の作品や近・現代ハンガリーの作曲家による作品を歌っていた。学生のころ、私は小さな私的なアンサンブルで(友人たちと一緒に)、しばしば合唱を体験した。もっとも、私はこういったアンサンブルのためにかなりの数の無伴奏合唱作品を作ったのである。

 
G.リゲティ

『György Ligeti Edition 2: A Cappella Choral Works』ブックレット

(以下、ブックレット)【1】

 

f:id:Lacant:20190822114844j:plain

リゲティ(右)とナンカロウ

 


 孤高の天才【2】、リゲティ

 ハンガリーで誕生したこの偉大な作曲家が遺した合唱作品について。
 

 


György Ligeti - Études for Piano (Book 1), No. 1 [1/6]

 


György Ligeti - Études for Piano (Book 2), No. 10 [4/9]

 

 

 上にあげたのはリゲティの真面目を知るうえで最適の作品だと思われる、『Études for Piano』のうちの一作である(第1集から1番「Désordre」。和訳すれば「無秩序」)。

 このハンガリーの作曲家は、機械楽器や諸国諸地域の民謡、数学に美術、現象学などをアイディアに【3】、多彩な作品を生み出し続けた。ピアノ・エチュードは、そんなリゲティの作曲家性をとみに教えてくれる作品だと思われるので、紹介した。

 

 

リゲティは作曲にあたって、様々な側面からインスピレーションを受けていた:セロニアス・モンクビル・エヴァンスといったジャズピアノから、そしてサハラ以南のアフリカの音楽文化(それは、時として非常に速いパルスをもつ音楽)からフラクタル幾何学や、マウリッツ・エッシャーの遠近法錯覚の手法まで影響を受けている。それら全てがリゲティ自身の音楽言語と融合しており、彼の言葉を借りるならば、それは「前衛的でも伝統的でもなく、調性音楽でも無調音楽でも、そしてポストモダンでもないのだ」(リゲティ

 

トーマス・ヘル
『"息を切らして" -リゲティのピアノのためのエチュードへの誘い

-【前編】』【4】

 


 リゲティは、自身がそう語っているように、ひじょうにたくさんの合唱作品を手がけた(最初の作曲者自身の言葉をみていただきたい)。あるいは、合唱ではなく〈声楽〉という括りにしてみれば、もっと数は増す。合唱については後に詳しく色々と書くつもりだが、もし声楽作品が気になってしまった方がおられたら、ぜひ『El misterio de la macabra』や『Nouvelles Aventures』など聴いて(ご覧)いただきたい。


 SONYから発売されているシリーズ『György Ligeti Edition』は、彼の仕事を知る資料として、最良のもののひとつで、2番の内容はタイトルの通りア・カペラ作品集となっている。収録曲数は37とヴォリュームがあり、『Lux aeterna』といった代表作から、あまり上演されなさそうな小品まで収められている。
 ブックレットにある作曲者の言葉をみると、彼はバルトークコダーイ、民謡の影響を受けて合唱作品を手掛けたとあるが、特にバルトークの影響は絶大だったといえる。バルトークリゲティの民謡研究に影響を与えたのはよく知られているし【5】、リゲティの初期のピアノ作品『Musica Ricercata』のうち数曲が、バルトークのオマージュとして作られている事実を鑑みれば、バルトークリゲティの作曲家性における、重大なエッセンスであることがわかる。

 神月氏が著書のなかでそのあたりのことを簡潔に書かれているので引用する。

 

リゲティは・・・「バルトークの先」を模索しながら作曲を続け、特に1995年以降になると、伝統的なスタイルを確立する姿勢を強めていった。これらの技法の特徴を要約すると、音組織ではバルトーク風の半音階やグリッサンドのほハンガリーの5音音階を用いている。またリズムの面ではアクサクやハンガリー語の抑揚に従った拍節などを取り入れている。

 

神月朋子『ジェルジ・リゲティ論』P43


 余談だが、わが国にもバルトークの民謡採収に影響を強く受けた作曲家がいる。いわずと知れた間宮芳生氏である。氏は自著『現代音楽の冒険』において【6】、『コンポジション』シリーズや『弦楽四重奏』の作曲動機として、バルトークの活動が大きく機能したことを明かしている。
 では、リゲティはどのように民謡を自作品に活かしたのか。目下、その手法は大きくふたつ存在する。ひとつは実在する民謡の旋律に基づいた手法。作曲者はトランシルヴァニアで調査を行ったことがあり、のちに『Magos kösziklának』や『Húsvét』といった作品にしたといっている【7】。そして、いまひとつは歌詞のみを民謡から採用するという手法。リゲティはこれを「民衆的精神に則った自由な創作」といっており【8】、具体的な作例としては、組曲『Haj, ifjúság!』がある(下に動画を掲載したが、驚くほど聴きやすい合唱曲である!)。

 

 

第1曲は、民謡編曲であるように聞こえるが、実のところは歌詞だけが民謡に基づいており、旋律は自由に創作された疑似民謡である。第2曲では(やはり歌詞は民謡に基づいており)、旋律は民俗舞踊のものを用いている。ただし、この舞踊旋律はハンガリーのものではなく、ジプシーに由来している。


                        ブックレット【9】

 

 


György Ligeti - Haj, ifjuság! - Le Choeur du Brouhaha en concert

 


 だが、なにもリゲティは民謡だけを合唱作品のコンセプトにしたわけではない。たとえばキリスト教典礼文を素材にした作品も遺している。その代表作が『Lux aeterna』や『Requiem』である。リゲティ作品を知る人びとにとっては周知のとおり、この2作にはまた、ラテン語であるという点以外に、共通するところがある。〈ミクロ・ポリフォニー〉の採用である。
 幸いにもブックレットに作曲者自身の簡単な解説があったので、引用しよう。

 

 

「ミクロ・ポリフォニー」とは、音のテクスチュアの密度が高いために個々の声部が聞き取れず、結果として切れ目なく移り変わってゆく和声の流れだけが知覚されることになるような音の織物を指す。

 

ブックレット【11】

 
 

 ミクロ・ポリフォニーが誕生した契機のひとつとして、トータル・セリエリズムへの批判が挙げられる【10】。音高だけでなく、音を成立させるすべての要素(音強、音価、音色)にセリーを与えるトータル・セリエリズムは、堅固な論理的一貫性を作品に付与することができたが、つくられた音楽が蓋し静動的なものになってしまうというジレンマに陥った。つまり、強固な法則性を与えた結果、出来上がった作品を聴いた時の印象が、画一的になってしまったのである。この打開策として、リゲティはミクロ・ポリフォニーなる技法を生んだのだ。

 実際、リゲティのミクロ・ポリフォニーを聴いてみれば、そこで独特の知覚体験を得られずにはいられない。『Lux aeterna』は16声部の混声合唱作品で、巧みな音高操作とアーキテクチャによって、一体いまどの声部が歌っていて、どのように旋律が生みだされているのかの判断が難しくなる。リゲティがうえで語っているように、切れ目のない演奏が無限を感じさせる。尤も、このような高度な多声合唱作品はルネサンス時代にもつくられているが(T・タリスの『40声部のモテット』など)、その質も意図も全く両者では異なるので、当然ながら安易に比較することはできない。だが、『Lux aeterna』はたいへん美しい作品なので、リゲティ推しであるブログ主としては、ぜひとも読者に聴いていただきたい...。

 


György Ligeti - Lux Aeterna [w/ score]

 

 ちなみにアルバムには未収録の『Requiem』の2番「Kryie」は、混声20声部が複雑なカノンを呈示する曲で、S.キューブリック監督の作品に用いられていることで有名だ【12】。そういえば最近、本作は日本でもJ.ノットの指揮で上演された。

 

 


György Ligeti, Requiem

 

 

 リゲティの作品には、確かに難解な点がある。それは技術的な意味でもそうだといえるし、聴くうえでもそうだと思われるかもしれない。しかし、真摯に対峙してみれば、実に美しい音楽がそこにある。リゲティは自作の難しさについて、技術それ自体が目的とされているわけではないと語っている。それはすべてポエジーのためだと 【13】。
 

 

f:id:Lacant:20190822121208j:plain

自作『Poème Symphonique for 100 metronomes』の用意をするリゲティ

 

 

 

1 『György Ligeti Edition 2: A Cappella Choral Works』(SONY CLASSICAL 1992)のブックレットP7から引用。

2 たかの舞俐氏は、『体験的作曲家論 —自作品とジェルジ・リゲティの作曲クラス— Empirical composition theory -My works and György Ligeti’s composition class - 』P2において、次のように書いている。

 

 

リゲティはよく生徒に「自分は、昔のアヴァンギャルド時代の仲間とはもう意見が一致しない。ライヒやライリーのミニマル音楽を彼らは理解しない。自分は孤独である」と語っていた。

 

 

3 リゲティが受けた影響のものとして、最後にブログ主は現象学と書いている。ここでいう現象学とは、ヘーゲルのそれでもなく、フッサールのそれでもなく、ハイデガーのそれでもない、モーリス・メルロ=ポンティ現象学であるとご理解いただきたい。リゲティとポンティの研究は、既に神月朋子氏が『ジェルジ・リゲティ論 音楽における現象学的空間とモダニズムの未来』(以下、『ジェルジ・リゲティ論』)(春秋社 2003年)に詳しいので、興味のある方はご参照を願う(蛇足だが、リゲティとポンティの関係を巡った著作はおそらく本邦においては他に例をみないのではないか)。

4 トーマス・ヘル 『"息を切らして" -リゲティのピアノのためのエチュードへの誘い-【前編】』 から引用。しかし、ここで引用されているリゲティ自身の言葉については気になるところがある。前掲『体験的作曲家論 —自作品とジェルジ・リゲティの作曲クラス— Empirical composition theory -My works and György Ligeti’s composition class - 』P25に、トーマス・ヘルが紹介した言葉にたいへんちかいセンテンスが登場するのだが、両者間に微妙な違いがある。以下、たかの氏の論文から引用。

 

 

“neither ‘avant-garde’ nor ‘traditional,’ neither tonal nor atonal,”(アヴァンギャルドでもない、伝統的でもない、調性でも、無調性でもない)」 (Dufallo 1989:334–35)

 


5 よく知られるように、バルトークハンガリーの民謡を採集し、自作の素材にした。

6 間宮芳生『現代音楽の冒険』(岩波書店 1990年)

7 前掲『György Ligeti Edition 2: A Cappella Choral Works』(SONY CLASSICAL 1992)のブックレットP8から引用。
8 前注に同じ。
9 前注に同じ。
10 神月氏の著作によれば、以下の3つのと要因からミクロ・ポリフォニーは誕生したという。①固有の音響像の構想 ②電子音楽体験 ③セリー主義への批判的受容。詳細は前掲『ジェルジ・リゲティ論』「ミクロ・ポリフォニーの成立」を参照されたい。

11 前掲『György Ligeti Edition 2: A Cappella Choral Works』(SONY CLASSICAL 1992)のブックレットP9から引用。

12 キューブリック監督はリゲティの作品を多く自身の劇伴音楽に用いたことで有名。

13 Michel Follin『Ligeti - Portrait Documental』(1993)