2019-01-01から1年間の記事一覧

廣瀬量平の笛

廣瀬量平 作曲家の廣瀬量平さんは、おもしろいことに気がついた。それは要旨、つぎのようなことである。 ――石笛は古神道で神霊を招きよせるのに使われた。能楽を、そうしたシャーマニズムの儀式の芸能化したものとしてみることは可能だが、まさに能において…

間宮芳生『合唱のためのコンポジション 第6番』第1楽章と第2楽章の素材確認

長年日本の作品を歌いつづけて来た法政大学アリオン・コールの為に男声合唱を是非との私の頼みに、彼はニコリとして「今度は六番だから田園だな」と答えて呉れた。・・・ 翌1968年5月26日、学生達は熱演―初演は成功した。会場のあちこちでこんな声が聞かれた…

讃美歌のたのしみ : イーゴリ・ストラヴィンスキーの『Otche Nash』

ストラヴィンスキー 東京の祖母の宅に邪魔をしている。 小さなリビングには母がむかし愛用していたアップライトピアノが置いてあって、訪ねたときはいつも、何時間もそれで「遊んでいる」。祖母はピアノの音をいっこうに気にしないので、いつまでもピアノの…

能楽の謡における拍と『王孫不帰』――横道萬里雄氏の著作を手引きに

「王孫不帰」は確かに難しい。今、現存する日本の合唱曲の中で最も難しい作品の一つですね。難しいだけでなくて非常に優れた作品です。それは三善さんの人生のある一つのピークの時に出来た作品でした。三善さんの非常に充実した音楽活動の結果作品に昇華し…

G.リゲティの合唱作品

青年時代、私はバルトークとコダーイ、あるいはハンガリーやルーマニアの民俗音楽に影響を受けた。コダーイの仕事が刺激となって、ハンガリーでは声楽ポリフォニーへの回帰が起こっていた。当時、プロやアマチュアの合唱団が多く存在し、ルネサンス期の作品…

児童合唱作品 『しゅうりりえんえん』

花壺のように彼女らはゆれていた。彼女らの中に何が宿っていたのだろう。ひょっとして、人生最初の心の錘りが、この世の変相を映す岸辺にとどく錘りが、この少女たちに宿ったかもしれない。 選らばれた処女神たちのように彼女たちは歌う。教会での聖歌ではな…