能楽の謡における拍と『王孫不帰』――横道萬里雄氏の著作を手引きに

 「王孫不帰」は確かに難しい。今、現存する日本の合唱曲の中で最も難しい作品の一つですね。難しいだけでなくて非常に優れた作品です。それは三善さんの人生のある一つのピークの時に出来た作品でした。三善さんの非常に充実した音楽活動の結果作品に昇華したわけですね。


顧問指揮者40年 ロングインタビュー

「田中信昭先生とアリオンの40年」【1】

 

 

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三善晃

 


 先日、合唱団お江戸コラリアーずさんの定期演奏会に行ってきた。
 プログラムは以下の通り。

 

 

 第1ステージ
 R.シューマン作曲
 Sechs Lieder für vierstimmigen Männerchor op. 33
 
 第2ステージ
 作詩:三善達治 作曲:三善晃
 男声合唱のための「王孫不帰」

 

 第3ステージ
 作曲:間宮芳生
 合唱のためのコンポジション6番
 「男声合唱のためのコンポジション

 

 第4ステージ
 アラカルトステージ
 作曲:オラ・イェイロ Northen Lights
 作曲:松下耕 俵積み唄
 作曲:津田元 うたをうたうのはわすれても  ほか

 

合唱団お江戸コラリア-ず第18回演奏会パンフレット【2】

 

 

 最後に合唱のコンサートを聴きに行ったのが、ちょうど昨年の今頃に開催された東京混声合唱団さんの定期演奏会だったので、実に約1年ぶりのライヴ鑑賞ということになる。
 どうしても聴きにいかなくてはならないという気持ちに駆られた動機は、シューマンとアラカルトに挟まれた二曲のためだった。いずれも法政大学アリオンコールさんが初演をされた作品で、ひと世代前の、<前衛>という言葉がいまだ古いものではなかった時代の合唱曲である。

 『男声合唱のための「王孫不帰」』(以下、『王孫不帰』)は、たいへんな難曲として広く知られている。特徴的なメリスマを採用したヘテロフォニックな旋律、意図的に小数単位で指示された拍子、大胆な詩の反復。ここから作曲家としての新時代を迎える三善晃氏渾身の曲であることはいうまでもない。

 

 さて、先に述べたように『王孫不帰』には小数拍子が頻出する(例えば「3.5 / 4」、「2.5 / 8」、「5.5 / 8」・・・という風だ)。とはいえ、換言すればなんてことはない。例えば「2.5 / 8」の音価は16分音符5つと同等(16分音符×4+16分音符)なので、「2.5 / 8」=「5 / 16」なわけだ。
 余談だが、ブログ主がこれまでに出くわした、最も「変わってる」拍子は、K.シュトックハウゼンというドイツの変態作曲家が1955年に作曲した『Klavierstück Ⅸ』。

 

 

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Karlheinz Stockhausen 『Klavierstück Ⅸ』(1955)



 さて、話を戻せば、『王孫不帰』の拍子の特異さは、その表記の仕方であると考えられる(もちろん音価にも意味はある)。なぜ三善氏は小数表記を用いたのか。これは不可解ではあるまいか。曲の難解さを露見させるためだろうか。それとも、実験的な試みだったのだろうか。

 おそらく、いずれも、違う。作曲者は半拍を意識させたかったのに相違ない。なぜなら、『王孫不帰』の歌唱法のモデルである能の謡において、半拍はたいへん重要だからである。


 能楽の謡において半拍が重要であること。そしてその事実が『王孫不帰』へ影響を与えた可能性。これを証明するために、横道萬里雄氏の優れた本を参照することにする。氏は能楽、芸能、仏教音楽の世界でたいへんな仕事をされた方で、特に法藏館から出版された『聲明大系』などは【3】、仏教研究史に名を刻む世紀の偉業と言っても過言ではないと個人的には思っている。またまた余談だが、横道氏と柴田南雄氏は同学のひとで、柴田氏の男声版『修二會讃』(法政アリオン委嘱)にも関られたという【4】。

 そんな氏は2002年に『謡リズムの構造と実技 能―地拍子と技法』(以下、『謡リズムの構造と実技』)なる著作を書かれている【5】。本書はその名の通り、能楽における謡の歴史、実際、技法をひじょうに分かりやすく記したもので、玄素の人の分け隔てなく楽しめる本だと思う。
 というわけで、『王孫不帰』の読解のために、ここからは暫く謡のお話になる。


 氏いわく、能楽における平ノリ(基本的なノリ)の詞章は、一文の基本型が7・5調であるという【6】。字余リ・字足ラズも存在するが、それはあくまで7と5に区切られた12音を基本としたうえでのことだという【7】。例えば『羽衣』に、


1.  なみだのつゆの たまかずら
2.  かざしのはなも しおしおと
3.  〇〇てんにんの ごすいも〇
4. めのまえにみえて あさましや


 というノリがある(『王孫不帰』が韻文であることを思い出していただきたい)。1から順に基本型、基本型、字余リ、字足ラズなわけだが、これに8の拍がつけられる(ここでいう<拍>というのは、西洋音楽でいうアクセントだとか、音強といったものに近い気がする)。
 しかし、当然ながら12字からなる詞章に8つの拍を均等に与えることはできない。そこで、〈モチ〉を使う。モチとは、横道氏に言わせれば、地拍子における「延長部分」だという【8】。これによって8つの拍を均等に振り分けることが可能になるわけだ。
 また、字余リ・字足ラズの詞章に対しても、都合をつけるための工夫があるのだが、その説明のために、下の図を見ていただきたい。図は横道氏の本を参考にしたものだが、便宜の上から一部改めた点があることを断っておく。

 

 

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横道萬里雄『謡リズムの構造と実技』P34の図を参考に作成

 

 
 数字と横棒が拍(アクセント)をあてる場所を示しており、「・・・」がモチを、「〇」が間を意味している。従って一文目を歌う場合、「なあなもじいならばあかくうたいー」という風になるわけだ。これで明らかなように、モチは確かに氏のいわれるとおり、延長部分であり、ついでに字足ラズの処理は、歌いだしを下げていくというものなのである。
 また、字余リの場合は、前句と切れ目なく繋げてて歌う処理を施すという。たとえば「やもじなるときはこのごとし」という13字の詞章のときは、ひとつ前の句の最後の拍を、歌いだしの部分に設定するのだ。

 

 

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前掲『謡リズムの構造と実技』P34を参考に作成


 ところで、ひとつめの図の2句目、4句目、5句目の謡出しの位置に注目をしていただきたい。いずれも一字目が拍に当たっていないのがお分かりいただけると思う。「六文字ならば・・・」は1拍目と2拍目の間、「四文字は・・・」は2拍目と3拍目の間、「三文字は・・・」は3拍目と4拍目の間が歌い出しとなっています。つまり、半拍が謡の出だしの位置になっているのである。
 面白いことに、能謡の世界では、謡出しの位置=間に名称が存在するそうだ。書を参考にすると、以下のようなのがある。

 

第八拍半の謡出し=本間
第一拍半の謡出し=ヤの間
第二拍の謡出し=ヤアの間
第三拍半の謡出し=ヤヲの間
第四拍半の謡出し=ヤヲハの間
前句八拍の謡出し=半セイの間【9】


 ほかにも「当ヤの間(アタルヤノマ)」だとか「当ヤヲハの間(アタルヤヲハノマ)」「長キヤヲハの間(ナガキヤヲハノマ)」なども存在するらしい【10】。
 ちなみに、合唱に親しい人なら、当然「ヤヲ(オ)ハ」は馴染み深い〈ハヤシコトバ〉として想起されるだろう。

 
 ここで『王孫不帰』に戻る。

 いまとなれば、三善氏があえて拍子をあえて小数で表記したのは、半拍への意識を促すため、と考えることができるのではあるまいか。『王孫不帰』の解釈や読解はネット上でも幾つかあがっているが、小数で表記された拍子への言及は少なかったので、今回書くことにした。謡のリズムや拍子の研究は、さらに『王孫不帰』の読解を役立たせてくれるだろうが、今回はとりあえずこれ以上触れないこととする。

 

 

・・・・・ 

 最後に雑感を述べさせていただきたい。

 三善氏は能楽における謡の理論を知ったうえで、かような作品を生んだのか、それとも理論を知らずに結果としてそうなってしまったのか。そんな疑問が記事を作成している途中、ふと生じた。

 真実はわかりえないが、ブログ主は後者だと思っている。

 法政アリオンさんの公式HPに、作曲者の言葉がいくつか紹介されているが【11】、それを読めば、三善氏は理論を中心素材に作曲したのではなく、個人の内的体験への(戦慄するほかないほどの)厳しい眼差しから曲を生んだことが知れる。従って、能楽の謡の理論を緻密に研究したうえで作曲したというより、過去の体験を反芻しつづけて作曲したと考えた方が、よいのではないか。

 となれば、理論を視座に『王孫不帰』を考えること(歌うことしかり、聴くことしかり)には、必ず限界があるはずである。内的体験――それはときに「フィジカル」で「生々しい」体験から誕生した作品を、構築化された理論という「よそよそしい」ものをもって眺めるのは、いささか滑稽ではあるまいか。しまった。

 という思いにやられてしまったが、最後に三善氏のことばを引用して、記事を終える。

 

 

 私にとって第二曲目の男声合唱曲ですが、色々の意味で初めての内的な体験が、この曲の素描に先行しました。
 田中信昭さんと語り合うとき、よく話題になることですが私達がポリフォニイを実感的に把握するのにどこかぎこちないところがある、なにか、よそよそしい。あの、建築学的な構造性や弁証法的な論理が、どうも体の外にあるような感じがします。それは、ホモフォニックな音楽の内声を歌うときにもつきまとう問題です。
 三好達治のこの詩を凝視めている長い間に、裡に聴えて来る音がある、それが、この課題を、創作という営為の中で追ってみよう、と思わせる音でした。
 以下に述べることはすべて、この詰が私の想像に課した、あるいは輿えた内的作業の経過の中にありました。
 第一には、この詩を口にする旋律の動向ですが、私自身の過去の環境に染みていた観世流の言商いや、たまさかに触れた声明のそれが、想像の中でふくらんでくる。あの言商いまわしは、ある意味では非日常的な語法ですが、私の心の深度では、ほとんどフィジカルな、と言える生々しい形質を持っています。
 具体的にそれはまず、イントネーションと音価の独自性に顕われてくるのですが、それこそ、言両者の呼気と吸気とが詞を体現する、心情的にも生理的にも必然な技法だと思います。
 当然それは発声法や、音程感や、フレージングに特性をもたらすことになる。こうしてSoliを含む9部の各声部の旋律動向が具体的な音のイメージとして定着してきました。この場合、旋律動向とは、単なる音程関係を意味するのでなく、それ自体の音楽的規制力や自発性に依って、ディナミークやリズムの特性をアプリオリに包含しています。
 第二に、このようなポリフォニーの素材がもたらすクラスターの処理です。
 誦いや声明のそれは、心情的にも技法的にも、たとえば墨絵がすべての色彩を含んでいるのにひとしい、音の、謂わば、幅なのですが、西欧的な手法としては、まずそれは非和声音の特殊な一時的状態、あるいは解決の変態または中断された形としてとらえられ、やがて今は、それ自体の即自性を持った音のかたまりとして扱われています。
 この曲では、上記のどの考え方もしない、あるいは、そのどれをも導入した、と言えます。実際、前述した旋律動向が多声で重なるすべての時点を縦にとらえて分析し直した結果を、この曲の素描の出発点としたわけです。
 第三には、中間部分に聴かれるように、ポリフォニックな手法と、フーガのストレットのaccelerando句や、走句ritenuto、fermataなどの構成法をも意識しました。
 いや、むしろ、この詩の詩法は原理的には非常に弁証法的な構築性を持っているので、ある意味で、このような手法はこの曲の持続統一の重要な裏打ちになっていると言えます。
 つまり、曲全体の持続を横に見通すとE音を主柱として発現する呼気と吸気があり、それが前述のクラスターを含めて増殖し、やがてE音に吸収され凝縮する、それを詩句そのものの暗示に依るものとすれば、縦の形式上の重力の配分や構成は、この詩の詩法が契機となって私の裡に、謂わば、感情自体の即自作用を起した結果だと言えます。メチエとしては形式の力学に属するものです。
 この話そのものについては、私なりの実情があります。しかしそれは不帰の人達への弔慰や贖罪、ひいては悲しみとかあるいは怒り、そのどれであるとも言えない、生者は、生者自身の中に、この詩をつぶやく対手を持っていると思いますから。

 

三善晃

王孫不帰について【13】

 

 

※付記

これまで何度も間宮芳生氏について触れさせていただいているので、次回か次々回は間宮作品についてかな・・・。

 

 

 

1 法政大学アリオンコールHPから引用。 インタビュー of 第2部

2 合唱団お江戸コラリア-ず第18回演奏会パンフレットを引用・参考にした。

3 横道萬里雄・片岡義道・佐藤道子・岩田宗一編『聲明大系』(法藏館 1983~1984年)

4 柴田南雄『日本の音を聴く』(青土社 1983年)

5 『謡リズムの構造と実技 能―地拍子と技法』(檜書店 2002年)。なお、併せて参考文献として横道萬里雄『岩波講座 能・狂言 Ⅳ能の構造と技法』(岩波書店 1987年)も参照されたい。

6 前掲『謡リズムの構造と実技』P26から引用。

7 前注に同じ。

8 前掲『謡リズムの構造と実技』P28から引用。

9 前掲『謡リズムの構造と実技』P36から引用。

10前注に同じ。

11委嘱作品2 of 委嘱作品

12前注に同じ。

 

 

引用・参考文献一覧

三善晃『王孫不帰』(全音楽譜出版社 1973年)

横道萬里雄『謡リズムの構造と実技 能―地拍子と技法』(檜書店 2002年)

横道萬里雄『岩波講座 能・狂言 Ⅳ能の構造と技法』(岩波書店 1987年)

合唱団お江戸コラリア-ず第18回演奏会パンフレット(2019年)

柴田南雄『日本の音を聴く』(青土社 1983年)

丘山万里子『生と死と創造と――作曲家・三善晃論』( musicircus 2006年)

法政大学アリオンコールHP 委嘱作品2 of 委嘱作品

法政大学アリオンコールHP インタビュー of 第2部